《「会誌97号」発行のお知らせ》
しんあいち歴史研究会では毎年度、3回会員相互の研鑽の場として会誌を発行しています。今回97号を6月下旬に発行しました。以下は会誌の表紙と目次になります。今回も興味あるテーマがそろいました。会誌は会員全員に配布されます。なお、会員以外の方の投稿も受け付けています。


☆令和8年10月研修会
<人道の港・敦賀港と気比神宮、7万年の泥が語る水月湖の年縞博物館を訪ねる>
敦賀港は、古くから日本海側を代表する港で、古代には大陸との交流の玄関口となりました。近代には欧州への連絡港として重要な役割を果たしました。特に明治時代以降は鉄道と結びつき、日本海と太平洋をつなぐ交通の要衝となりました。また、「人道の港」としても知られ、先の大戦の際には東海地方にも縁のある杉原千畝の発行した命のビザで、4000人とも5000人ともいわれるユダヤ人がナチスの迫害を逃れ、ウラジオストックから国内で唯一この敦賀港に降り立っています。そして神戸港や横浜港からアメリカやオーストラリアへと向かいました。実はこの敦賀港、それ以前にも難民を受け入れた歴史があります。その人道の港の歴史を紹介するため2020年に建てられた施設「敦賀ムゼウム」を訪ねます。また近くには彼ら難民が神戸などへ向かった鉄道の駅「旧敦賀港駅」が再現され、鉄道資料館として当時の様子を伝えています。昼食後は敦賀市に鎮座する気比神宮を訪ねます。気比神宮は北陸道を代表する古社であり、越前国一宮として古くから篤い信仰を集めてきました。主祭神は伊奢沙別命(いざさわけのみこと)で、仲哀天皇・神功皇后・応神天皇など七柱の神々を祀っています。敦賀は古代から大陸との交流の玄関口であり、気比神宮は海上交通や国家守護の神として重要な役割を果たしました。平安時代には朝廷から厚く保護され、越前国第一の社格を誇りました。境内に建つ大鳥居は国の重要文化財に指定され、日本三大木造大鳥居の一つに数えられています。長い歴史と神聖な雰囲気を感じ取ってください。
そして最後に訪問する年縞博物館は、若狭町にあり、2018年9月に開館した世界でも珍しい年縞をテーマとする博物館です。年縞とは、湖の底に毎年積み重なる地層の縞模様で、木の年輪のように年代を正確に知ることができます。館内では、近くの水月湖の湖底から採取された約7万年分の年縞を展示しており、その長さは約45メートルにも及びます。水月湖の年縞は、年代を測定する「世界標準のものさし」として国際的に高く評価されています。考古学や地質学、気候変動研究など幅広い分野で活用され、日本の研究成果が世界の歴史解明に大きく貢献しています。館内では、年縞の成り立ちや発掘調査の様子を映像や模型で分かりやすく学ぶことができます。年縞の奥深さを楽しんでください。
ちなみに昼食はホテルのローストビーフ丼、日程最後は「日本海さかな街」の買い物でしめます。
1.開催日 令和8年10月25日(日)
2.集合場所 金山総合駅 イオン金山店前 午前7時50分集合・出発
3.費用 会員 10,000円、ビジター 11,000円
4.申し込み方法:下記申込書を事務局に事前に手渡し、又はハガキ、メールで申込み
5.送付先 446-0044 安城市百石町2-19-7
山本京子 気付 しんあいち歴史研究会事務局
メールアドレス kyoko.y.summer@gmail.com
尚、締め切り日は 令和8年10月15日(準備の都合上、10日前とさせて頂きます)
☆ 自己都合により当日取りやめた場合は、後日2,000円を申し受けますので
ご了承願います。
☆令和8年11月研修会
<紫香楽(の)宮跡&水口城 及び 周辺の寺と史跡を巡る>
今回のテーマは、「紫香楽(の)宮跡&水口(みなくち)城(じょう)及び周辺の寺と史跡を巡る」にしました。
奈良時代中頃に、聖武天皇(701~756年)が造営した恭仁宮・難波の宮・紫香楽の宮など、短い間に都を次々と遷(うつ)し、「聖武天皇の彷徨(ほうこう)5年 (740年10月~745年5月まで)」といわれた時期、造営からわずか二年半という短命の都ながら、①紫香楽(の)宮跡 [今回行く国史蹟紫香楽の宮跡は宮殿跡ではなかった]は詔(みことのり)によって大仏 (盧舎那仏(るしゃなぶつ))造立がスタートした地として知られます。そして、将軍家光の上洛の際に宿所として築城された ④水口(みなくち)城&資料館、及び周辺の寺
②善水寺… 国宝の本堂と鑑賞価値のある多くの仏像を有し、最澄が桓武天皇の病気平癒にこの寺の霊水を献上して治癒したことから天皇より善水寺の号を賜った寺。11月は紅葉で有名。
③大池寺(だいちじ)…小堀遠州策と伝えられるサツキの大刈込で有名な寺。
そして陶芸の森に変えて⑤信楽焼の登り窯「宗陶苑」見学の史跡を巡ります。
〇内数字は行程順
《大岡(だいこう)寺(じ)は駐車場の関係で省いた。※多羅尾代官所跡も予定していたが方向・経路と時間の関係で省略》
記
申し込み方法:
①下記申込書で事務局に事前手渡し
②はがき・メールで申し込み
※送付先 〒446-0044
安城市百石町2-19-17
山本京子 気付
しんあいち歴史研究会事務局
メールアドレス: kyoko.y.summer@gmail.com
(研修月日を忘れずに)
締切: 令和8年11月13日(木)
資料印刷の関係上10日前とさせていただきます
★昼食は、「宴所 やまりゅう」 <湖南市岩根中央二丁目
0748 72-0137>という所で“すき焼肉 小鍋セット”を予定しています。
☆自己都合により当日取りやめた場合は、後日2,000円を申し受けますのでご了承ください。
☆令和8年12月学習会
<銅鐸はなぜ消えたのか>
現在、銅鐸は全国で約500件出土しています。弥生時代を通じて近畿地方を中心に広く普及していた銅鐸が、古墳時代以降、完全に姿を消してしまいます。『古事記』・『日本書紀』や『風土記』などの文献にもまったく記録は残されていない。記録だけでなく、銅鐸に関する伝承なども一切残されていません。まさに記憶も含めて完全に消されたという状況です。弥生人が篤く崇敬して止まなかった銅鐸がなぜ、突然消えてしまったのか? そこには日本の古代国家の成り立ちの秘密が隠されていました。その謎を解き明かします。
主な内容
1.謎に包まれた青銅器 銅鐸とは・・・銅鐸の概要
2.銅鐸の分布(県別分布)と分布状況から分かること
3.銅鐸の年代について・・・銅鐸はいつから作られたか
・弥生時代の年代区分、銅鐸の年代論
4.銅鐸の形式発展の状況・・・銅鐸は九州において発生した
・朝鮮式銅鐸→小銅鐸→銅鐸が銅鐸発生の流れ、近畿地域では朝鮮式銅鐸、小銅鐸
の鋳型は出土していない
5.日本の青銅器の特殊性・・・日本の青銅器は大型化・祭祀化する
6.銅鐸は何に使われたていたのか・・・銅鐸は共同体の祭祀に使われた
7.誰が銅鐸を使っていたのか・・・銅鐸は物部氏と関係が深い
8.物部氏とはどのような氏族なのか・・・発祥の地は北部九州の遠賀川流域
・饒速日命(物部氏の祖先)が東遷したのはいつ頃なのか?
9.銅鐸はどのように広がったのか・・・出雲と北部九州のつながり
10.「聞く銅鐸」から「見る銅鐸」に変化した訳は?
・「聞く銅鐸」と「見る銅鐸」は同じ所から出土することがない
11.銅鐸はなぜ埋められたか?・・・地中保管説は破綻した
・近畿式銅鐸だけが破壊された状態で出土する
12.銅鐸祭祀の終焉・・・銅鐸はなぜ消えたのか、なぜ完全に忘れられたのか
(記)
開催日 令和8年(2026年)12月13日(日)
場 所 名古屋市中区金山1丁目5番1号
日本特殊陶業市民会館 2F 第1会議室
時 間 午前9時05分 開場
午前9時15分 開演 午前11時55分 終了
会 費 会員500円 ビジター500円
申込方法 ①事前に事務局に手渡し ②事前に ハガキ、メール、TELLで申し込み
申込み先 446-0044 安城市百石町2-19-7
山本京子 気付 しんあいち歴史研究会事務局
メールアドレス kyoko.y.summer@gmail.com
締 切 資料印刷の関係上開催日10日前とさせて頂きます。

