《会誌発行のお知らせ》
しんあいち歴史研究会では毎年度、3回会員相互の研鑽の場として会誌を発行しています。今回96号を2月下旬に発行します。以下は会誌の表紙と目次になります。今回も興味あるテーマがそろいました。会誌は会員全員に配布されます。なお、会員以外の方の投稿も受け付けています。


☆令和8年3月研修会
「菜の花咲く渥美半島の縄文遺跡と渥美窯跡、そして豊橋吉田城を訪ねる」
黒潮洗う東三河地方の沿岸部は、温暖な気候で、中央構造線が走り、そして、日本中央部に位置しています。この地方は、特徴のある地理によって特徴づけられた興味深い歴史推移があります。令和8年3月の研修会では、この地方の特徴ある史跡をいくつか取り上げて探訪します。取り上げるのは渥美半島の縄文遺跡と渥美窯跡、そして、豊橋にある吉田城です。
菜の花咲く、桜の咲き始める春の渥美半島の田園地帯、そして水温む三河湾沿岸を通り、探訪したいと思います。
縄文貝塚
縄文時代、渥美半島の三河湾沿岸は、豊かな海産物に恵まれ、多くの人々が暮らしを営んでいました。中央構造線は、豊川に沿って信州に伸びています。また、渥美半島の先端から伊勢湾を抜けて吉野川に沿って紀伊半島を横断しています。渥美半島の縄文の人々は丸木舟を漕いで三河湾、伊勢湾を盛んに航行して遠方との交流を行っていました。近年発掘の進んだ吉胡貝塚、渥美半島先端部の保美貝塚を訪問し、出土した遺物・遺構等を見学しながら当時に思いを馳せたいと思います。
渥美窯跡
渥美窯は、猿投用の山茶碗を焼く窯が渥美半島に伝わり、生産が開始され、12世紀初め頃(平安時代末期)から13世紀末(鎌倉時代)まで生産が続いています。陶土は砂質で、登り窯を用いて焼成し、青みがかった灰色色調を特色としています。碗、皿、鉢、瓶、壺、甕などの日常雑器のほか経筒や蔵骨器などの祭祀容器、漁具、瓦なども生産されました。海上輸送や陸上水運を通じて各地に運ばれ分布をしています。
渥美窯の遺物を展示した渥美郷土資料館、渥美窯の遺跡である皿焼き古窯館、東大寺瓦窯跡を巡り、往時の渥美窯の繁栄を偲びながら、なぜ中世に途絶してしまったのかを考えたいと存じます。
吉田城跡
戦国時代、豊川の本格的な治水が始まり、東海道の交通の要衝を抑える吉田城が豊川の辺に築かれます。1505年に、一色城(豊川市牛久保)の城主であった土豪の牧野古白(こはく)は、今川氏親(うじちか)の指示を受けて豊川の左岸に今橋城(吉田城)を築きます。そのころ西三河で勢力を伸ばしていた松平氏に備えるためでした。その後、豊臣時代に吉田城の主となった池田輝政によって現在に残る規模の吉田城が整備されました。江戸時代になると、徳川の親藩・譜代の大名が入れ替わり統治することになります。
この研修では、最初に吉田城を訪問し、今に残る、築城当時の遺構、池田輝政によって整備された遺構等を巡り当時を偲びたいと思います。
豊川用水
この研修の最後の訪問地は、渥美窯跡として残る、伊良湖にある東大寺瓦窯跡です。そこに隣接して、眺望の素晴らしい豊川用水のために現代に造られた初立池(はったついけ)があります。豊川用水の完成・利用によってこの渥美半島地域は全国有数の農業生産地域となりました。
その素晴らしい発展を支えている豊川用水についても、訪問したご縁を得て学びます。
なお、昼食は「田原めっくんはうす」において、「潮騒弁当」を用意しています。田原でとれた物産のお買い物もできます。多くの皆様のご参加をお願いします。
記
1日時 令和8年3月22日(日)
2.集合場所 金山総合駅 イオン金山店前 午前7時50分集合・出発
3.費用 会員 10,000円、
ビジター 11,000円
4.申し込み方法:下記申込書を事務局に事前に手渡し、又はハガキ、メールで申込み
5.送付先 446-0044 安城市百石町2-19-7
山本京子 気付 しんあいち歴史研究会事務局
尚、締め切り日は 令和8年3月12日(準備の都合上、10日前とさせて頂きます)
☆ バスの席が定員になり次第締め切りとします。
☆ 自己都合により当日取りやめた場合は、後日2,000円を申し受けますので
ご了承願います。
☆令和8年4月研修会
「福井藩の藩主が眠る菩提寺「大安禅寺」と新田義貞の戦死地および柴田勝家の居城北庄城跡、その後の福井城跡などをめぐる」
①萬松山 大安禅寺
大安禅寺は福井市の北西部にあり泰澄大師が1300年前に創建、天正2年に織田信長の越前攻略の際、焼失したが、その後万治元年(1658年)に第4代福井藩主の松平光通により福井藩松平家の菩提寺として建立されたのが大安禅寺で、宗派は臨済宗妙心寺派の禅寺、同寺の本堂裏手の小高い箇所に歴代福井藩主の墓所があり、笏谷石大きな墓石のほか床は千畳敷と言われており同じく笏谷石の石畳となっている。
②新田塚公園
新田義貞は鎌倉幕府を滅ぼし越前に転戦暦応元年(1338)、新田義貞は藤島城の救援に向かおうとした際、燈明寺畷付近で足利方の黒丸城の斯波高経軍と遭遇、乱戦の中戦死したとされています。明暦2
年(1656年)に農民が鉄兜を掘り出し、これが新田義貞のものと判明し戦死地とされた。[1965年国の史跡として認定される]。福井藩四代藩主松平光通は 万治3年 (1660年)ここを戦死地として碑を建て整備した。それ以降この地が「新田塚」と呼ばれるようになった地です。
③北の庄城址と福井城跡の散策
北の庄城跡は柴田勝家の居城で、秀吉に責められ、お市とともに自害。2人を偲び城跡は柴田神社として社が建てられ祀られているほか、柴田勝家、お市、浅井3姉妹の銅像が建立されている。北の庄城趾からは福井駅前の繁華街を通り抜け、距離にして300mくらい北にある福井城址に行きます。この散策には地元のボランテイアガイドの案内をお願いしてあります。
④柴田勝家・お市の方の“石廟[石祠]”がある西光寺
1489年(延徳元年)に朝倉孫次郎貞景[朝倉家三代目]の家臣・上田兵衛尉景忠が主君の命によって、合戦で戦没した多くの軍兵の亡魂を追善する目的で天台律宗近江坂本西教寺の真盛上人<1443~1495年>を招請し開基として、「岡ノ西光寺」としたことに始まるといいます。 堂供養の時だったそうです。西方から光明が差したことから、お寺の号が「光明山」となった。1573年(天正元年)に織田軍が朝倉を攻めたことにより、朝倉氏が滅亡。その時にこの岡ノ西光寺も焼失。勝家が北ノ庄に移転して再建し、菩提寺とした。
記
1.開催日 令和8年4月26日(日)
2.集合場所 金山総合駅(イオン金山店前)7:50集合・出発
3.費用 会員 10,000円 ビジター 11,000円
4.申込方法 下記申込書を事務局に事前に手渡し、又ははがき・メールで申し込み
5.送付先 446-0044
安城市百石町2-19-7
山本京子 気付
しんあいち歴史研究会事務局
メールアドレス kyoko.y.summer@gmail.com
尚、締切日は、令和8年4月15日(準備の都合上、10日前とさせて頂きます。)
☆バスの席が定員になり次第締め切りとします。
☆自己都合により当日取りやめた場合は、後日2000円を申し受けますのでご了承願います。
☆令和8年5月研修会
「豊臣兄弟の大和郡山城と弥生時代の唐古・鍵遺跡他を巡る」
風薫る五月は大和(奈良) 盆地を訪ねます。大和と い えば初期大和政権の拠点となった纏向遺跡を思い浮かべますが、今回 、 そこは敢えてはずして、大和盆地が太古に形成されて縄文・弥生と続く時代の代表的な遺跡である唐古・鍵遺跡 、古墳時代初期の黒塚古墳 と戦国時代に築造され、豊臣時代に豊臣秀長の拠点となった 大和 郡山城を 巡り、太古に大和盆地が形作られた 以降 の大和盆地の長い歴史の経過について思
いを馳せてみたいと思います。まずは大和 に向かうバスの中で、 大和盆地の成り立ちと、これまで明確 に 解っていない 大和盆地の太古から 弥生時代・古墳時代の自然環境について 、近年の研究 を紐解いて考えた
いと思います。
「大和郡山城」
最初に訪問するところは大和郡山城です。本年 の大河ドラマ「豊臣兄弟 」 の 主役である豊臣秀長の居城で あったことから、 地元は 沸き立っています。大和郡山城は、そのためか一段と 化粧直しされ、大河ドラマ館も開館して賑わっていると 思います。 我々は、 ボランティアガイドの案内 によってお城を巡 り 、この城の歴史に思いを馳せたいと 存じます。江戸時代には郡山藩の藩庁が置かれ、 江戸中期 に柳沢吉保の長男 、柳沢吉里が入府し 、 以後 、 幕末まで 柳沢氏が 治め ました 。 本丸内には柳沢吉保を祀る柳沢神社があります。 天守跡に登ると、大和(奈良 盆地 が広く見渡せます。昼食は、近鉄郡山駅前の 旬味和膳「
季乃庄 」 において 季節の 和食弁当を用意しています。
「唐古・鍵遺跡」
弥生時代の 代表的な大規模遺跡 (約30万平方メートル です。大型建物の跡地や青銅器鋳造炉など工房の跡地が発見され、話題とな りまし た。 全国からヒスイや土器などが集ま り 、銅鐸の主要な製造地でもあったと見られ、弥生時代の日本列島内でも重要な勢力の拠点があった集落ではないかと見られてい るようです 。ここから出土した土器に描かれていた多層式の楼閣が遺跡内に復元されてい ます。まず、
唐古・鍵遺跡 史跡公園を見学し、 次に バスで移動して、その南にある 唐古・鍵考古学ミュージアムを訪問し、 学芸員の方に展示物の説明をしていただきます。
「黒塚古墳」
オオヤマト古墳群 を構成する 古墳のひとつで 、墳丘長は130メートルです。 箸墓古墳に次いで築造された 古墳時代前期前半の 古墳です。箸墓古墳 と 近くの行燈山古墳 の墳丘長は 、「それぞれ、290メートル、 244メートルですから、 黒塚古墳は、大王級の古墳よりも 小さく、大王に仕えた豪族級 を埋葬した古墳と思われます。初期ヤマト王権の中枢を構成するオオヤマト古墳群において、ほぼ未盗掘の状態で発掘
調査が実施され 、 埋葬施設の全容が判明した唯一の例で あります。 銅鏡や鉄製品の多量出土によって、前期古墳の定点として古墳時代研究において不可欠な位置づけにある古墳である とされています 。多くの皆様のご参加をお待ちしています。 よろしく お願いします。
記
1 開催日 令和 8 年 5 月 2 4 日( 日)
2 集合場所 金山総合駅 イオン金山店前 午前 7 時 5 0 分集合・ 出発
3 費用 会員 10,000 円 、 ビジタ ー 11 0 00 円
4 申し込み方法:下記申込書 を 事務局に事前に手渡し、又はハガキ、メールで申込み
5.送付先 446 0044 安城市百石町 2 19 7
山本京子 気付 しんあいち歴史研究会事務局
メールアドレス kyoko.y.summer@gmail.com
尚、締め切り日は令和 8 年 5 月 1 4 日(準備の都合上、 10 日前とさせて頂きます)
☆バスの席が定員になり次第締め切りとします。
☆自己都合により当日取りやめた場合は、後日 2,000 円を申し受けますのでご了承願います。



